先日、下関に立ち寄った折、春帆桜と日清講和記念館に行ってきました。伊藤博文第二次内閣で外務大臣兼全権大使だった陸奥宗光を中心として、開国後の不平等条約改正に突き進み、以降の外交戦略に大きな影響を与えた場所です。 改装が行われていて、昔の面影はありませんが、春帆桜はまさに日本の外交を変えた場所、そして記念館には当時の、机、椅子、装飾品が保管されていました。1895年の風景としては素晴らしいもので、明治政府のこの会議にかける並々ならぬ意気込みが感じられましたし、ここに伊藤博文や李鴻章が座って会議をしたのだと思うと、歴史のターニングポイントが目の前にあるかのような錯覚に陥りました。
現在、日本の外交は様々な問題を抱えています。しかしながら、当時は更に深刻な問題を抱えていたと思います。江戸幕府が続けてきた鎖国外交から、ペリー来航による開国、その流れの中での、15カ国にも及ぶ不平等条約(主に治外法権の問題)やその後の三国干渉、ロシアと欧州列強が中国の特殊権益を狙った遼東半島の問題など、事態は今よりも深刻であったと思います。
陸奥は、治外法権に関わる15カ国すべての不平等条約改正を一つ一つ着実に解消してきました。しかし日清戦争勃発後、戦いをを優位に進める中で行われたのが、日清講和会議(下関会議)です。カミソリ大臣と言われ、軍事と情報戦を巧みに利用し、外交に手腕を発揮した陸奥でしたが、三国干渉を受けた事で、他国の援護なき外交は失敗に終わる事を痛感したと言われています。
現在、日本の外交は、領土問題をはじめ、様々な壁にぶつかっています。外交は国益追求の手法ではありますが、現在の世の中にあっては、自国の利益だけを追求していては他国の理解は得られないのも事実です。今の私達は、先人達がどのようにして現在の日本を創ろうとしてきたのか、もっと学ぶべきだと強く感じます。その上で、他国とどのようにして付き合っていくのか(日米同盟、集団的自衛権、その他のものも含めて)、それを考えていかなくてはならないと思います。その先に、領土問題やTPP、その他の外交問題に対応できる光があり、日本がアジアのリーダーとして、存在感を示す事ができるのだと思います。
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