2012年6月27日水曜日

日本の原子力政策~トイレなきマンション~

先日、六ヶ所村(使用済み核燃料処理施設)が試験運転再開するというニュースを目にしました。地域住民の反対や、エネルギー政策見直しの中、このタイミングで試験運転再開を決定したようです。
 日本はエネルギーを他国からの輸入に頼っているのは周知の事実です。その中で、原子力発電は日本のエネルギー事情を変える策として、その担いを負ってきました。しかしながら、東日本大震災以降、大きな転換期を迎えている事もまた事実です。しかしながら、根本的な方向は変わっているのでしょうか?1984年の核燃料サイクル計画、その後のプルサーマル計画(この2つに関しては関連サイトを是非ご覧頂きたいと思います)というものは、まだ構想にあるのでしょうか?そうであるのならば、六ヶ所村の再稼動の裏に、原子力リサイクルという危険な夢物語のシナリオが潜んでいるのかもしれません。
 小泉政権時代、郵政民営化を論点に持ってきたことで、他の事柄については、あまり話題になりませんでした。しかしながら、今になって、大変重要な事柄が決まっていた事を知りました。今回の野田政権も消費税が最大の論点となり、他の重要な事柄がかすんでいる気がしてなりません。
 単に国政を批判しているのではありません。でも、使用積み核燃料が2万4千年もの間危険なものである事を考えると、私達の子供達だけでなく、2万4千年後の世代まで課題を残す事になります。私達が考えたから直ぐに変わるものではないのかもしれませんが、このような問題からも目をそむけず、関心を持っていなければならないと感じます。

議論と民主意主義

先日、青年会議所の会員会議所会議がありました。この会議は、島根県各地の皆様と様々な議案について会議するものです。私達、青年会議所メンバーは『明るく豊かな社会』の実現という理想に向かう団体です。真剣な議論の中で、厳しい指摘もしますし、激しい議論になる事もあります。しかし、前提には、会員メンバーが同じ理想を持つ中での絆で結ばれていると思います。これがなければ成立しないのだと思います。それがない議論は、取引や交渉と同じになってしまうのではないでしょうか。国民に置き換えれば、愛国心と国家観を持つ国民同志が、本来の民主主義の中で議論していけば何かが変わるのではないでしょうか。 東日本大震災以降、私達日本人には様々な問題が突き付けられている気がします。その中で、今まで気づかなかった事、無関心であった事を振り返る事ができる・・・今がその時なのではないでしょうか

2012年6月21日木曜日

本当の自分とは

先日、オウム真理教最後の指名手配犯、高橋容疑者が逮捕されました。そして、6月16日、留置されている東京拘置所内で『逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。逮捕されて、本来の自分が分からなくなった』と話したという。
 そもそも、本来の自分とは何なのでしょうか?今の自分、今までの自分、これからの自分、それはすべて、同じでしょうか?様々な出来事や他人と接する事で、変わっていくものだと思います。それも含めて自分なんだと思います。そしてその中で、迷う事も多いと思います。その迷いや不安の中で、何か完全なものに憧れ、すがりたい、そんな弱さも心の中にあると思います。
 そもそも宗教とは、不安な気持ちを和らげる特性を持つものだとも感じています。仏教ですら、『死』の不安に対して、『極楽浄土』という安心を与えています。極楽浄土が絶対的なものなのです。しかし、人間はいつまでも不完全なもので、様々な日常の中で自分を探しているのかもしれません。
 『曹洞宗』道元の教えの中にこんな言葉があります。『座禅は悟りを開く為のものではない』毎日、荒行ではなく、座禅を中心とした修行を繰り返す『曹洞宗』においてこれは、矛盾を意味します。しかし、道元が言いたかったのは、日常生活を正しく繰り返す中にこそ、自らが気付く、本当の悟りがあると言いたかったのではないでしょうか。
 昨今の宗教団体の騒動の中で様々な事を考えさせられます。現在ある宗教は既に形骸化している部分があると言われますが、私達が正しく認識した上で自分の中に落とし込む事が出来ていないのではないでしょうか。今後、混沌として先の見えない時代の中、宗教にすがる若者が増えていくのかもしれません。そんな中で、私達が、小さくとも消えない光を放つ事ができればと思います。

2012年6月17日日曜日

ロジカルとラジカルという考え方

物事を考える上で、様々な考え方があると思います。その中でロジカルラジカルという考え方があります。ロジカルとはロジックからくる考え方で、物事を段階を踏んで、積み上げていき答えを導き出す考え方です。ラジカルは段階を踏まずに、一足飛びに答えを導き出す考え方です。
 人を説得する手法として有効な方法が『ロジカル』の論法だと言われています。順をおって分かり易くシンプルに説明すれば、人を納得させ易いと思います。しかしながら、問題に対して対策を考えたり、何か新しいものを生み出そうとする場合は、『ラジカル』な考え方が必要と考えます。現実世界の流れとしても、昨年の富士通のスパコン『』に代表されるように、コンピューターの技術革新は目覚しいものがあります。コンピュータはロジックの天才で、人間が到底追いつく事の出来ない程の頭脳を持っています。近い将来ロジックな仕事はコンピュータがとって変わると思います。であれば、今後、人間のする仕事は変わっていくのではないでしょうか?ラジカルという手法は一見、無茶苦茶な考えに思えるかもしれませんが、答えにたどり着くまでに、常識を疑ったり、固定概念を捨ててみる中で様々な事が見えてくると思います。
 今、国際的に『問題を見つけて解決する力』が必要とされており、沢山の国々で教育方針の中に盛り込んでいるようです。その中で、子供達の『なぜ』を大人のロジックで消さない取り組みもなされています。それは、とてつもなく早い流れの中で、今の子供達が大人になる頃には、今の常識は非常識になっているかもしれない、だから、自分が思う『なぜ』は、自らの生きる力になる、そんな意味が込められている気がしてなりません。

2012年6月13日水曜日

歴史教育vol2

先日も歴史について書かせて頂きました。学生時代、全くと言っていいくらい興味がありませんでしたが、あの頃の授業はやはりつまらなかったのでしょうか?(笑) 今思い返しても、年号と出来事を暗記するだけのとても退屈な時間だった気がします。本当はその中で、様々な思惑があって、人が動き、出来事が成立したのでしょう。そういった意味において、歴史は『人の物語』なのだと思います。年号と出来事だけ憶えるのは、広く知識をつける意味においては、大切な事かもしれませんが、それでは余りにも学びが少ないように感じます。歴史は先人達の物語であり、一連の流れであります。だから点ではなく一本の線なのだと思います。特に近現代史については、最近、多くの情報が出てきています。失敗も成功も、出来事には理由があるはずです。そういった事を知る事が本当の意味で歴史を学ぶという事なのではないでしょうか?
 混沌として、流れが速い時代、そんな今だからこそ、私達は先人達の物語から学ぶ事があるのではないでしょうか。

2012年6月11日月曜日

歴史教育

今年度の所信に書いた文章に、日本人が忘れかけているものとして『歴史』、『道徳』、『信仰』の三つをあげさせてもらいました。GHQ統治下の占領政策の中での、検閲、焚書などを通じ、日本人の意識は変えられていったのだと考えます。アメリカと共に歩んだ日々が間違いだったと言っている訳ではありません。戦後は日米の利害が一致していた部分が多く、日米安保を基軸にして経済発展がなされた事は周知の事実です。
 しかしながら、今、歴史観、道徳観、信仰心をもう一度振り返る事も必要なのではないでしょうか?昨今、領土問題がメディアで報じられる中、自分自身が思うのは、『知らない事が多い』という事実です。恐らく、私達は日本の歴史についてはキチンと教えてもらわなかったのではないでしょうか。  そもそも、私達は自国の歴史を学ぶチャンネルとして『日本史』を勉強しますが、他のほとんどの国は自国の歴史は『national history』、国史として学びます。アメリカ人は『アメリカ史』とは呼ばないのです。そんな事からも分かるように、この『日本史』自体が他国からのものなのです。歴史学と考古学が歩み寄って研究がされだした近年の中で、歴史の事実も変わりゆく部分があるにせよ、正しい事実と物語を教えていく事が最も重要なのではないかと強く感じます。
 その上で、『教えから学び』への転化が必要と考えます。様々なテクノロジーの進化により、現実的にも、電子的にも、国際化は急速に進んでいく中で、他の国々は『問題を見つけ、解決する能力』、が最も重要な能力と認識しています。そんな中、日本だけがガラパゴス島で生きていく事は出来ないのです。
 このような事は、簡単に解決する事ではありません。しかしながら、私達の世代は、こういった部分も考える、そして伝える。そんな責任を負った世代なのかもしれないと感じています。