先日、オウム真理教最後の指名手配犯、高橋容疑者が逮捕されました。そして、6月16日、留置されている東京拘置所内で『逃走している時は本来の自分を変えて生活していた。逮捕されて、本来の自分が分からなくなった』と話したという。
そもそも、本来の自分とは何なのでしょうか?今の自分、今までの自分、これからの自分、それはすべて、同じでしょうか?様々な出来事や他人と接する事で、変わっていくものだと思います。それも含めて自分なんだと思います。そしてその中で、迷う事も多いと思います。その迷いや不安の中で、何か完全なものに憧れ、すがりたい、そんな弱さも心の中にあると思います。
そもそも宗教とは、不安な気持ちを和らげる特性を持つものだとも感じています。仏教ですら、『死』の不安に対して、『極楽浄土』という安心を与えています。極楽浄土が絶対的なものなのです。しかし、人間はいつまでも不完全なもので、様々な日常の中で自分を探しているのかもしれません。
『曹洞宗』道元の教えの中にこんな言葉があります。『座禅は悟りを開く為のものではない』毎日、荒行ではなく、座禅を中心とした修行を繰り返す『曹洞宗』においてこれは、矛盾を意味します。しかし、道元が言いたかったのは、日常生活を正しく繰り返す中にこそ、自らが気付く、本当の悟りがあると言いたかったのではないでしょうか。
昨今の宗教団体の騒動の中で様々な事を考えさせられます。現在ある宗教は既に形骸化している部分があると言われますが、私達が正しく認識した上で自分の中に落とし込む事が出来ていないのではないでしょうか。今後、混沌として先の見えない時代の中、宗教にすがる若者が増えていくのかもしれません。そんな中で、私達が、小さくとも消えない光を放つ事ができればと思います。
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