世界的に教育改革が議論される中、最近アメリカ、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の討論型講義が注目を集めています。これは、ディベートの一つ、対話法を活用した講義で、通常の受け身の講義と違い、参加者に疑問を投げかけ、参加者自らが手を上げ意見を述べるものです。正解のある問題を解く事しか教えない日本の教育手法とは明らかに違いがあります。
日本にも様々な問題があります。原発、領土領海などなど、それぞれの問題に絶対的正解は存在しないものです。おそらく、何かを選択する中で、何らかのリスクを負わなければならいでしょう。それには、覚悟が必要だと思います。覚悟を持つ為には、人に流される選択ではなく、自らが決めたものでなくてはなりません。自らが決めたものを持つ為には、問題と向き合わなければなりません。そういった意味において、討論型教育は、自らが問題と向き合う時間を与えてくれる貴重なキッカケなのではないでしょうか。
アメリカだけが特別なことをしてきた訳ではありません。江戸末期の日本にも討論型教育は存在していました。長州藩、吉田松陰が開いた松下村塾はその魁といった場所でした。そして、武士や町民といった身分の分け隔てなく塾生を受け入れ、史記、論語、読み書き、時局討論など幅広い教育を施したと言われています。門下生には、明治政府を担う事になる伊藤博文や、江戸幕府倒壊を決定づけた高杉晋作、坂本龍馬や中岡慎太郎、西郷隆盛なども幕末の志士達に多大な影響を与えた、久坂玄瑞などがおり、彼らの原点がここにあります。
最近になって早稲田大学をはじめとする教育機関が討論型教育を採用していますが、私達の所属する青年会議所はもっと以前から討論型の会議を行っています。絶対的な答えの無い社会問題などに対して、メンバーで様々に議論していきます。それは、決められた事をこなすだけでなく、時代を見据え、様々な問題と向き合い、自らが判断し、行っていく、列記とした討論型教育なのではないでしょうか。そして、それは全国で701それぞれのLOM(青年会議所の最小単位)で有益な活動を行う為に日本全国に701のリーダーが存在しているのだと強く感じます。
国内外問わず、今後様々に変化していく環境の中で、私達は問題と向き合い、自分で悩み、答えを探しながら何かを選択していく、そんなことが求められていく時代なのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿