台湾総統府を尋ねました。赤レンガが象徴的な総統府ですが、日本人の設計からなのか、どこか親しみやすい感じがしました。総統府に入る前、パスポート確認があったり、金属探知機があったりとかなり厳重なチェックを潜り抜け中に入りました。
中に入った後は台湾総統府専属の日本人ガイドの方に館内を案内頂きました。一階フロアはパネル展示がしてあり、総統府建設に関する事や台湾の歴史、歴代総統に関する説明を受けました。台湾は日本統治下でインフラが作られた事はある程度知ってはいましたが、本当に多くの日本人が台湾に関わっており、歴史の上からも日本と台湾は繋がりが深いことを再認識しました。しかし、そのパネルは台湾語や中国語などの表記しかありませんでした。『日本人観光客も多いのになぜ日本語表記がないのですか?今は台湾人の日本人を見る目が変わったのですか?』と聞いてみました。すると『そんな事はありません。東日本大震災の義捐金でも分かるように、私達は日本を見ています。しかし、自国で経済が回る日本と違い、台湾は自国ではとても成り立っていかない。台湾は輸出で経済が成り立っている為、貿易相手国との関係が最も重要です。そういった事も理解頂きたい』と言われました。確かに台湾の貨幣価値、2000万人という人口、現在の中国圧力下での状況を考えると、生きていく為に低い貨幣価値を武器に輸出に偏って他国と上手く付き合っていかなければならない現状にあるのでしょう。そんな中でも、平均所得が13万円の台湾の人々から東日本大震災に対して100億円を超える義捐金が寄せられたことを、私達はしっかりと考えなければならないと思いました。
2012年11月29日木曜日
2012年11月28日水曜日
九份の街
↑最も景色が良いとされる阿妹茶楼前の通り 神戸六甲のような険しい山肌に作られた街↓ ↓高低さの激しい階段を上がっていく九份の町 |
台北市内から車で東に一時間のところに九份(キュウフン)という小さな町があります。ここ九份はジブリの宮崎監督が『千と千尋の神隠し』の一場面として使ったことで有名な町です。九份という名前の由来は、昔ここは9人の小さな村で、隣町まで食料などを買いに行っていたそうです。そのうち、村の人の買出しを交代でするようになり、9人分の食料を買っていた為その名前がついたようです。その後、日本統治下時代、金が見つかりゴールドラッシュに沸きました。しかし労働環境は厳しく、ヘトヘトになりながらその日出た日当で夜市の食料を食べたそうです。『千と千尋の神隠し』で千尋の両親が豚になるシーンがありましたが、その時歩いている人たちが、死んだような人影だったのを思い返すと、その当時の物語が描かれていたのかも知れません。そして今観光地として、沢山の人々が訪れる町となりました。
現在、日本各地で町おこしが模索されていますが、ここ九份からも学ぶ事があるような気がします。町の特色や歴史を生かすことで、訪れる人に何かを感じさせます。映画の舞台である事がキッカケではありますが、その特性を生かしてゴールドラッシュ後の廃墟から見事観光地として復活しています。もしかすると私達の住む街も、普段意識していない事でも訪れる人に何かを感じさせるものがあるかも知れない、そんな事を考えることができた時間でした。
現在、日本各地で町おこしが模索されていますが、ここ九份からも学ぶ事があるような気がします。町の特色や歴史を生かすことで、訪れる人に何かを感じさせます。映画の舞台である事がキッカケではありますが、その特性を生かしてゴールドラッシュ後の廃墟から見事観光地として復活しています。もしかすると私達の住む街も、普段意識していない事でも訪れる人に何かを感じさせるものがあるかも知れない、そんな事を考えることができた時間でした。
2012年11月26日月曜日
台湾の宗教
台北を訪ねた際、現地の方々が熱心にお祈りをしている姿を見ました。台湾の宗教ってどういうものなのですか?と尋ねると、道教と仏教が一緒になったものですという答えでした。仏教はわかるのですが、道教は耳慣れない言葉した。もともとは漢民族の伝統宗教であったようで、それが中国全土に広まり、仏教と融合した福建省の福建道教が台湾の宗教のルーツのようです。更に、道教は仏教だけではなく、儒教とも融合した為、仏教の観音菩薩を祀ったり、儒教の創始者である孔子が文昌帝君と並んで祀られたりと日本人の私からすると奇妙な感覚を受けます。ただし、これはその国や地域に根付く文化であり、否定すべきことではありません。
そもそも日本人の仏教は、イスラム教信者のように聖地メッカに一日5回お祈りをするような信者ではありませんし、ほぼ単一民族で構成された島国に住む私達はあまり意識はしませんが、世界を知ることは宗教を知る事だと言われています。私達は知らない国を訪れて見るものは、観光地やエンターテイメントの部分に偏ることも少なくないのかもしれません。しかしながら、それは表層の部分であり、その国の歴史や文化、宗教といったものがその国や地域の人々の思想や感性の根幹をなしています。その上に様々なものがあり、存在しているのだと思います。
学生時代、私達は世界史というものを習いましたが、一体何を学んだのでしょうか?などと考えさせられます。無論、限られた時間の中ですべてを学べないのも事実ではありますが、せめても興味をもってもらい、その上で自ら学べる部分は必要と考えます。グローバル社会だと言われる現代社会・・・しかしその本質は、グローバルを知る事で様々なものさしを持てる事、その上でローカルを大切に出来るということに繋がっていくのではないかと感じました。
2012年11月24日土曜日
2012三次こども市議会
11月17日、広島県三次市役所に行ってまいりました。10月に三次を訪れた際、小学6年生の子供達が市議会の一般質問を行う事業があるとのご案内を受けた為です。三次市役所の会場の傍聴席に着くと、目の前には、市長はじめ、議員の皆様、そして一般質問を行う子供議員の皆さんが座っていました。
子供市議会に先立ち、三次青年会議所片岡理事長の挨拶、三次市長挨拶がありました。片岡理事長は本事業へのアツい思いを、市長は事業に向かう真剣な気持ちをお話されました。
一般質問が始まると、子供議員の皆様が、通学路の安全確保や公園整備、災害対策、小中一貫教育に伴う三次小学校新設などについての質問が行われました。その質問に対して、各担当者からの答えがありました。今年度からの一般質問は、担当者からの答えに対して再度質問が行えるようにはなっていましたが、小学6年生がアドリブでそれを行う事は難しく、具体的な予算化には至りませんでした。しかしながら、自然保護の観点で絶滅危惧種である野鳥の『ブッポウソウ』の質問に対してだけは、市長が来年5月までに看板設置を約束されました。
たかが看板設置です。しかしながら、この子達が中学生になって、来年5月に看板を視た時どのように思うでしょうか?小さな事であっても、自分の考えた意見が市制に反映された事は大きなことであると思います。小さな一歩ではありますが、子供達には大変貴重な経験であったと思います。片岡理事長はじめとされる社団法人三次青年会議所の皆様におかれましては、是非『こども市議会』を続けて頂き、市民の皆様にも訴え続けて頂きたいと思います。
子供市議会に先立ち、三次青年会議所片岡理事長の挨拶、三次市長挨拶がありました。片岡理事長は本事業へのアツい思いを、市長は事業に向かう真剣な気持ちをお話されました。
一般質問が始まると、子供議員の皆様が、通学路の安全確保や公園整備、災害対策、小中一貫教育に伴う三次小学校新設などについての質問が行われました。その質問に対して、各担当者からの答えがありました。今年度からの一般質問は、担当者からの答えに対して再度質問が行えるようにはなっていましたが、小学6年生がアドリブでそれを行う事は難しく、具体的な予算化には至りませんでした。しかしながら、自然保護の観点で絶滅危惧種である野鳥の『ブッポウソウ』の質問に対してだけは、市長が来年5月までに看板設置を約束されました。
たかが看板設置です。しかしながら、この子達が中学生になって、来年5月に看板を視た時どのように思うでしょうか?小さな事であっても、自分の考えた意見が市制に反映された事は大きなことであると思います。小さな一歩ではありますが、子供達には大変貴重な経験であったと思います。片岡理事長はじめとされる社団法人三次青年会議所の皆様におかれましては、是非『こども市議会』を続けて頂き、市民の皆様にも訴え続けて頂きたいと思います。
2012年11月18日日曜日
卒園
先日、子供と一緒に幼稚園に行きました。園児の作品展を見るためです。その時普段子供達がいる教室にもお邪魔してみました。教室では先生がおられました。普段先生と話す機会がないので、少しお話をしました。その間、我が子が『パパ、iPAD貸して』と言ってiPADで教室の写真を何枚も何枚も撮っていました。
後でその写真を見返してみると、普段自分が使っているロッカーや、自分達が作った作品、遠足で拾ってきた栗、切りかけの画用紙、そんな写真が撮られていました。よくよく考えてみると、彼は最近、ランドセルを買いに行ったり、学校の制服の準備やそれに関わる健康診断をしたり、小学校に通う為の準備をしています。彼なりに、卒園する事に寂しさを感じる中で何かを残したいと感じていたのではないかと思いました。
私達も人生の中で様々な卒業のタイミングを迎えます。私も一年間理事長職をさせて頂きましたが12月でその職から卒業となります。精一杯やってきましたが、志半ばで出来なかった事も多く、寂しさも残ります。今年度、私は誰かに何かを残す事が出来たのでしょうか?人に評価されたい為にやってきた訳ではないのですが、誰かが何かを感じてくれたらと思います。
単年度制の青年会議所、来年は直前理事長として相談役的な職にはなりますが、また新たな役職で一年間やって行きたいと思います。
後でその写真を見返してみると、普段自分が使っているロッカーや、自分達が作った作品、遠足で拾ってきた栗、切りかけの画用紙、そんな写真が撮られていました。よくよく考えてみると、彼は最近、ランドセルを買いに行ったり、学校の制服の準備やそれに関わる健康診断をしたり、小学校に通う為の準備をしています。彼なりに、卒園する事に寂しさを感じる中で何かを残したいと感じていたのではないかと思いました。
私達も人生の中で様々な卒業のタイミングを迎えます。私も一年間理事長職をさせて頂きましたが12月でその職から卒業となります。精一杯やってきましたが、志半ばで出来なかった事も多く、寂しさも残ります。今年度、私は誰かに何かを残す事が出来たのでしょうか?人に評価されたい為にやってきた訳ではないのですが、誰かが何かを感じてくれたらと思います。
単年度制の青年会議所、来年は直前理事長として相談役的な職にはなりますが、また新たな役職で一年間やって行きたいと思います。
2012年11月12日月曜日
100階建の家
『100かいだてのいえ』より
昨日、我が子の作品展を見に幼稚園に行きました。『100かいだてのいえ』という絵本を素に園児達が思い思いの自分の100階建ての家を作品にしていました。絵本の中では、同じ家で動物達が仲良く暮らしていました。子供達もそれにならって沢山の動物を同じ家に描き、作品にしていましたが、人に置き換えて考えてみると意味深い絵本だと感じます。
今の日本は核家族化が進行していています。その為、共働きが増え、子供達の生活が心配され、社会的に学童保育やこども園などの施策が求められています。しかしながら昔日本は、何世代もの同居が基本でした。いつの頃からか、いつかはマイホーム(自分の城)と自らの幸せを追い求め、核家族化していった気がします。しかし、世の中は、それに反してグローバル化していきました。社会を100階建ての家にたとえるなら、違いを理解しながらも分かり合って行かなければ同じ社会(100階建の家)で同居する事は出来ないと思います。
昔から違いを受け入れて生活してきた日本人が、今度は世界という100階建の家での同居を考える時、恒久の平和への道が開けるのかも知れません。
昨日、我が子の作品展を見に幼稚園に行きました。『100かいだてのいえ』という絵本を素に園児達が思い思いの自分の100階建ての家を作品にしていました。絵本の中では、同じ家で動物達が仲良く暮らしていました。子供達もそれにならって沢山の動物を同じ家に描き、作品にしていましたが、人に置き換えて考えてみると意味深い絵本だと感じます。
今の日本は核家族化が進行していています。その為、共働きが増え、子供達の生活が心配され、社会的に学童保育やこども園などの施策が求められています。しかしながら昔日本は、何世代もの同居が基本でした。いつの頃からか、いつかはマイホーム(自分の城)と自らの幸せを追い求め、核家族化していった気がします。しかし、世の中は、それに反してグローバル化していきました。社会を100階建ての家にたとえるなら、違いを理解しながらも分かり合って行かなければ同じ社会(100階建の家)で同居する事は出来ないと思います。
昔から違いを受け入れて生活してきた日本人が、今度は世界という100階建の家での同居を考える時、恒久の平和への道が開けるのかも知れません。
新旧会員会議所会議
先日、益田の地にて新旧会員会議所会議が行われました。伊藤ブロック会長はじめとする運営団の皆様、一年間お疲れ様でした。伊藤会長が掲げられた『ふるさと大家族』を象徴するかのような素晴らしい新旧会議でした。
伊藤会長が今年度、魂をかけて取り組まれたことはその言葉から誰もが感じたと思います。そして、『誰かの為に』という言葉は大変印象的なものでした。私も本年度リーダーとしてLOMの理事長として職責を預かってきたつもりでしたが、伊藤会長の言葉を聴き、姿を視て、自分にその気概がなかった事に気がつきました。当該年度開始前は、何をどうしていいのか分からないままバタバタし、始まってからは必死になりきろうと努力しましたが周りが見えなくなり、後半は伝えなければと悩んだり・・・ しかし、伊藤会長を視て、思いは『伝える』のではなく『伝わる』ものだとういう事を学びました。そして自分自身の為に頑張るのではなく『誰かの為に』頑張る事でその思いは伝わっていくのだと思いました。
伊藤会長が今年度、魂をかけて取り組まれたことはその言葉から誰もが感じたと思います。そして、『誰かの為に』という言葉は大変印象的なものでした。私も本年度リーダーとしてLOMの理事長として職責を預かってきたつもりでしたが、伊藤会長の言葉を聴き、姿を視て、自分にその気概がなかった事に気がつきました。当該年度開始前は、何をどうしていいのか分からないままバタバタし、始まってからは必死になりきろうと努力しましたが周りが見えなくなり、後半は伝えなければと悩んだり・・・ しかし、伊藤会長を視て、思いは『伝える』のではなく『伝わる』ものだとういう事を学びました。そして自分自身の為に頑張るのではなく『誰かの為に』頑張る事でその思いは伝わっていくのだと思いました。
2012年11月9日金曜日
島根県青年4団体交流会
先日、島根県青年4団体交流会に参加してきました。LOMとしては、本年度から安来市の4団体交流を行っていますが、県単位での交流会は初めてでした。
常々思っていることですが、同じ圏域に存在する青年団体がもっと歩みよれないものでしょうか?街をより良くする為、それぞれの団体が活動している訳ですから、共に協力しあえる部分もあると感じます。そして、それぞれの団体は街づくり団体である前に人づくり団体です。40歳又は45歳の卒業までに地域を愛する『種』となり、それぞれの地域で素敵な花を咲かせる為の準備期間なのだと思います。
昨今の社会情勢の中で、企業は合理化やコスト削減を余儀なくされています。しかし、そこで働くのは人です。地域活性化においても人は最も重要な資源です。そして人の育成に合理化はありません。人と関わる中で、試行錯誤して成長していけるのだと思います。
今回の交流会を通じて新たな出会いを得る事が出来ました。今後も、熱い気持ちを持った方々と一人でも多く知り合い、膝を付け合せて話していきたいと感じた交流会でした。
常々思っていることですが、同じ圏域に存在する青年団体がもっと歩みよれないものでしょうか?街をより良くする為、それぞれの団体が活動している訳ですから、共に協力しあえる部分もあると感じます。そして、それぞれの団体は街づくり団体である前に人づくり団体です。40歳又は45歳の卒業までに地域を愛する『種』となり、それぞれの地域で素敵な花を咲かせる為の準備期間なのだと思います。
昨今の社会情勢の中で、企業は合理化やコスト削減を余儀なくされています。しかし、そこで働くのは人です。地域活性化においても人は最も重要な資源です。そして人の育成に合理化はありません。人と関わる中で、試行錯誤して成長していけるのだと思います。
今回の交流会を通じて新たな出会いを得る事が出来ました。今後も、熱い気持ちを持った方々と一人でも多く知り合い、膝を付け合せて話していきたいと感じた交流会でした。
2012年11月7日水曜日
挑戦~リスクと機会
最近、暗い話題が多かった日本も、世界最大の素粒子実験施設立候補(九州、東北)であったり、京都大学、山中伸弥教授のiPS細胞研究のノーベル賞受賞で勇気づけられたのではないでしょうか。そして、先日の東京都知事、石原慎太郎氏が任期を2年残しての国政出馬表明がありました。政界進出のタイミング、国内情勢から、メディアや評論家は様々な評価をしています。しかしながら、私は、素直に凄いと感じました。80歳という年令でいまだ挑戦し続けるその姿は私達に、頑張れ!と言っている気がしました。
昨今の若者は草食系だのロストジェネレーションなど様々に揶揄されます。それは多分、挑戦しないからだと思います。そして挑戦できない社会の中で生かされていると感じているからだと思います。しかし挑戦とは2つの意味を併せ持つ言葉だと理解しています。一つはリスク。挑戦という言葉はとかくこのイメージが強いのではないでしょうか。もう一つは機会。私達はリスクを恐れてチャレンジする機会までも失ってはいないでしょうか?チャレンジを宣言する事で、結果を求められると思いがちですが、ビジネスの世界でも必ず成功する事など存在しません。ですから宣言するのは、あくまで目標設定です。そして、私達若者は、知識と経験を持つベテランには敵いません。しかしながら、勝てるポイントは量とスピード、更には、失敗が出来る若者の特権を生かし、その時にしか存在しない機会を、自ら一歩踏み出す事で機会(チャンス)を掴んでいく事が今後更に重要になっていくのではないかと思います。
昨今の若者は草食系だのロストジェネレーションなど様々に揶揄されます。それは多分、挑戦しないからだと思います。そして挑戦できない社会の中で生かされていると感じているからだと思います。しかし挑戦とは2つの意味を併せ持つ言葉だと理解しています。一つはリスク。挑戦という言葉はとかくこのイメージが強いのではないでしょうか。もう一つは機会。私達はリスクを恐れてチャレンジする機会までも失ってはいないでしょうか?チャレンジを宣言する事で、結果を求められると思いがちですが、ビジネスの世界でも必ず成功する事など存在しません。ですから宣言するのは、あくまで目標設定です。そして、私達若者は、知識と経験を持つベテランには敵いません。しかしながら、勝てるポイントは量とスピード、更には、失敗が出来る若者の特権を生かし、その時にしか存在しない機会を、自ら一歩踏み出す事で機会(チャンス)を掴んでいく事が今後更に重要になっていくのではないかと思います。
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